育休中の深夜に気づいた。自分がやっていることは全部同じだった
深夜に戦略書をコミットし終えて、ふと思った。
「今日は戦略書を育てた日だった」
子どもを寝かしつけた後の感覚に、どこか似ていた。
「今日は戦略書を育てた日だった」
6月21日の深夜、育休中の生活についての記録を更新した。コンテンツの柱A・柱Bの定義を詰め、「育てる×観察する」という言葉が自分の根本構造を説明する言葉だと気づいて、戦略書に書き込んだ。
それが終わったとき、充実感があった。
説明しにくい充実感だった。何かを完成させた達成感ではなく、成長を確認したような、そういう感触。子どもが一段階できることが増えたのを見たときの感覚に似ていた。
「育てる」という言葉が頭に残った。
子どもも、コミュニティも、AIも——同じように世話していた
そこから少し振り返ってみると、今の育休生活で関わっているものが、全部「育てる」という動詞で説明できることに気づいた。
子どもたちの成長を記録している。長男(小学生)が繰り上がり・繰り下がりを練習している経緯をメモし、末っ子(0歳)がエプロンなしで離乳食を食べ始めたことを書き留める。「常識に縛られなくてよい」と気づいたのは、末っ子がエプロンなしで食べているのを観察したことがきっかけだった。
コミュニティを運営している。「研の間」というメンタリングコミュニティで、参加者のプロジェクトを見守っている。直接アドバイスをすることよりも、記録して、問いを渡して、変化を見届けることが自分の役割だと思っている。
AIの仕組みを作っている。daily-reportスキル、戦略室、日報から記事を生成するパイプライン。完成させて終わりではなく、使いながら育てていく設計にしている。コミットするたびに、少し成長した感覚がある。
戦略書も、同じだった。一度書いて完成ではなく、月次で更新して、セッションのたびに厚みが増していく。
対象は違う。でも自分がやっていることは全部同じだった。
「観察する」が核心にある
育てることと観察することは、自分の中でセットになっている。
長男に「電気はどこで生まれるの?」と聞かれたとき、すぐ答えなかった。答えるより先に、どんな問いが続くかを見ていた。それは無意識にやっていたことで、後になってなぜそうしたのか考えた。たぶん、答えを渡すより、問いが続く時間のほうが面白いと思っているからだと思う。
日報を書くとき、自分の行動を記録しながら、パターンを見ている。「深夜4時過ぎまで起きていた→朝の起床遅れ→娘が起きてこない→バス乗り遅れ→視野検査も間に合わない」——この連鎖を書き出したのは、改善するためでもあるが、まず「観察する」行為として始まった。見えていなかったものが見える感覚が好きだ。
コミュニティでも、メンバーの投稿を読むときに最初にすることは、記録することだ。何を言っているかより、どう変化したかに注目している。
育てることは、変化を見届けることだ。そのためには観察し続けることが必要になる。「育てる×観察する」という言葉が根本構造を説明するとしたら、それはこの連動関係のことだと思う。
それは「考える時間を守る」設計と同じなのかもしれない
2026年5月のEDIX東京で、鈴木寛氏が講演でこんな問いを出したという。「生成AIが『考える』行為を代行する時代に、子どもたちの深い思考をどう守るか」。
読んで、自分がやっていたことと重なると思った。
答えを渡さずに問いを残す。変化を見届けるために観察する。完成ではなく成長を確認する。
AIが答えを出せる時代に、自分が面白いと思い続けていることは「答えを渡さない側にいること」だった。それが意図した設計だったのかどうか、正直まだわからない。育て方の癖だったのかもしれないし、何かを作ることへの好みだったのかもしれない。
ただ、戦略書をコミットした夜に感じた充実感が、子どもを寝かしつけた感覚と似ていた——その事実は記録しておきたいと思った。
自分がやっていることは全部同じかもしれない。そう気づいたとき、次に何が見えてくるのかを、まだ観察している。