日記

京野 誠について

京野 誠(きょうの まこと)と申します。

私の自己紹介をかねて、簡単に経歴などを述べてみたいと思う。

2024年現在、6歳(年長)の息子と2歳(保育園2歳クラス)の娘と夫の4人暮らし。

職業はエンジニアである。新卒で入社してから転職経験はなく、息子の時に2年、娘の時に1年の育休を取得している。

出産と育休というブランク、そして子育て、復職という経験は、私に大きな価値観の変化をもたらした。

私は埼玉県生まれ、第一子の長女として生まれた。

地元は田舎だが、その中ではずっと優等生をやってきた方だ、と思う。

小さい頃から書道、ピアノ、水泳、珠算、英語、学習塾と毎日何かしらの習いごとを詰め込まれ、勉強は常にクラスでトップだった。書道や珠算では大会に出場し、表彰され、合唱祭ではいつもピアノ伴奏をしていた。

学生時代の勉強については、思うところがあるので、いずれ別のところで考察を述べたいと思う。

今思うと、母親の期待値が高かったのだと感じる。常に母の期待に応えようとしてきた。

そんな母は昔、歯科衛生士として働いていたが、出産を機に専業主婦になっている。

私は生まれてから母を見ていて、「自分は絶対に仕事を手放すまい」と決心した。

父はエンジニアだった。サラリーマンとして登り詰め、成功した人間である。

この成功の裏には母の支えがあったはずだが、「稼いでいる」という理由で母を虐げた。

父と母が喧嘩になると、必ず「飯を買わせているのは誰か」という台詞が出た。

これが私は大嫌いだった。

今でこそSNSで主婦の「名もなき家事」が議論にのぼる時代になったが、私の中にはあのときの憤りがまだ疼いている。

子どもながらに理不尽だと思った。母が可哀想だと思った。しかし自分は無力だった。

大人になったら私が稼いで母を助けようと思ったし、私は絶対に経済的に自立し続けようと思った。

小学校、中学校は地元の公立に通い、高校は私立の進学校に通った。そして高校3年生のときに通ったとある数学塾で数学の面白さに出会い、大学は数学科に進むことにした。

大学生活は自分のこれまでの人生の中でもかなり面白い経験となった。数学の勉強が面白かったし、優秀な友人に恵まれたことも大きな刺激になった。当時は寝ても覚めても数学のことばかり考えていた。

私は当然のように大学院に進学して研究者を志そうと考えていたが、父に「女がそんなに学をつけてどうする」「社会に出て働け」「大学院なんかいくよりとにかく早く社会に出ろ」と反対された。

「女が」というくだりは納得がいかないが、当時管理職として多くの部下を持ち、グローバルで活躍していた父は、早く社会を見ろという愛のあるアドバイスだったのだろうと今では思う。

結局、就職活動をすることにした。

業界は幅広く見たが、結局男女差別なく、長く働けそうで、育休などがきちんと整備されており、自分を高め続けられそうな会社という観点で、大手外資系IT企業に就職を決めた。

20代は激務だった。

仕事に明け暮れていたら、いつのまにかFacebookのタイムラインは結婚ラッシュと出産ラッシュが入り乱れていた。

ところで私は戦略を立てるのが好きで、いつも見通しを持っておきたいと考えている。

昔から子どもが欲しいと考えていたので、入社早々、会社で開催されていた「仕事と子育て両立セミナー」に前のめりで参加し、メモを取りながら「働き続けるには」と考え続けていた。

ちなみに参加者の中で私は明らかに最年少であり、場違い感満載であった。お腹の大きい女性や、赤ちゃん連れの人も参加していたと記憶している。

このように用意周到に考えていたのに、いつのまにか結婚に乗り遅れるという失態を犯した。

アラサーになってようやく自分の人生について考え直す必要があるぞと思い直し、出向希望を出した。

働き方を変えることでゆとりを手に入れたのである。

本社ではお客様のプロジェクトベースで、ゴールデンウィークも正月も休みなしが当たり前だった。出張もたくさんあるし、自分のペースで働くこと、まして子持ちで働くイメージがまったく持てなかった。

一方、出向先はバックエンドサポートがメイン業務で、時間の融通がきく。

ここでようやく婚活を経て結婚、出産とこぎつけた。

私は1人目の育休で、十数年以来初めて、仕事から長期間離れる経験をした。

育休に入って初めは業務メールが気になって仕方なかったが、そのうち子育てに追われてそんなことを考えている余裕はなくなった。

私は育休という2年間で、身体に染みついた会社員としてのマインドという名の「毒素」が完全に抜けた、と感じている。

会社という組織は社員を洗脳する。

「こういうもの」「こうするもの」という当たり前で目の前が曇る。そして曇っていることに気づかない。

私はもともと育休というブランクが怖かった。後輩に抜かれること、自分のスキルが落ちること、そして戻ってやっていけるのか考えただけで落ち着かなかった。

しかし今では会社から離れる時間を持てたことに感謝している。きっと世の多くの男性はこの経験ができず、視野が狭窄していくのだ。

私はこの育休中に副業にチャレンジし、初めて自分とは違う業界の人と接点を持った

そしてずっと自信がなかった「自分」というものの価値を強く感じることができた。

今は復職してまた会社員として働いているわけだが、以前とまったく違う景色が見えている。

今は自分を主語にして、自分の人生を生きている実感がある。

学生時代の「優等生」のような型ではなく、自分の幸せを求め、家族の幸せを考えられるようになった。

ひとことで言うとまぁまぁ幸せに生きている。

しかし会社員としての働き方に限界を感じることは多い。仕事は楽しいが、キャリアについては今なお試行錯誤中だ。やりたいこともたくさんある。

このブログではそんな私の試行錯誤や子育て、日々の思考のログを残していきたいと思っている。

ばいちゃ!

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