
今日は研の間で「自分のMVVのを考えよう」というイベントを開催した。
MVVとはミッション・ビジョン・バリューのことで、なんだか小難しい単語だが、よく企業が「会社の存在意義」などとして掲げているものだ。
今回は「自分株式会社」の存在意義を考えてみようという趣旨で話をした。
なぜこんなイベントを立ち上げたのかというと、最近自分のMVV、つまり自分の軸みたいなものが、生きるうえでとてもだいじなものだと考えているからだ。
忙しい毎日の中でそういうことを考えるのはなかなか難しいから、強制的に時間を作るしかない。
映画館の価値は、2時間強制的に映画に集中させるシステムにある、と過去にちきりんさんが話していた。家のリビングのソファでアマプラを見ている分にはいつでも一時停止できるし、なんとなくスマホを見てしまったりしてなかなか映画に集中することは難しい。誘惑がたくさんあるし、中断してくる外敵要素も多い。しかし映画館に入ってしまえば映画を見るしかない。その環境設定が映画館の価値なのだと。
同様に、リアルイベントの価値はその場で強制的に考える時間が与えられるところにあると思う。あとでアーカイブを見ようとかあとで考えようとかいうのは無理なのだ。人間の意志は弱い。
私は普段、目標を達成するコツを伝えることが多いので、目標が達成できない悩みを抱えている人から相談を受けることも多い。その中でよく言われるのが「お尻叩きをしてほしい」ということだ。
みんな自分で自分を管理するのが苦手なのだ。
さて、今はMVVがとてもだいじなものだと考えている私だが、そう考えるようになったのは最近だ。これまでの人生でミッションだのバリューだの、そんなことまったく考えたこともなかった。
自分のMVVを考えるようになった大きな要因は子育てだ。
子育てというのは生きている人間を育てるということなので、全然想定通りにいかない。この点がオフィス仕事などとは全然違う。
チームで仕事をしているときには他人に振り回されることもあるが、その相手は大人である。基本的に言葉や常識が通用するし、チームで助け合える場面も多い。
それが子育てとなると相手は言葉も常識も通用しないし、常にペースを乱される。チームメンバーは夫しかいないし、その夫が不在なら自分ひとりでなんとかしなければならない。とにかく自分のことがあとまわしになる。
しかしこの子育てという経験が私に大きなパラダイムシフトをもたらした。
まず、自分の仕事時間に大きな制約がかかったこと。
独身時代は残業し放題だったが、子どものお迎え時間というリミットがあるとそういうわけにもいかない。時間内になにがなんでも仕事を終わらせなければならない。
制約は人を成長させる。
「自分の持っているエネルギー(時間)で眼の前にいるすべての敵(仕事)をぶっ倒せるのか」というクエストをどうしたらクリアできるのかに本気で頭を使うようになった。
大きな制約がある今、時間と体力が無限にあった20代の頃と同じやり方は通用しない。
20代の頃は、目の前の仕事の完成度を100%に高めることを目指していた。しかし、「限られたエネルギーを配分する」という考え方に変わった結果、全体を俯瞰して見られるようになった、というかそうせざるを得なくなった。
成功条件が変わったのだ。
すべての仕事で100点を取ることが重要なのではないと気づいた。
その結果、かなり効率的に仕事ができるようになった。
が、それでもまったく時間が足りない。
子どもの発熱で保育園からしょっちゅう呼び出されるし、予防接種やイベントもある。子どもの話を聞いたり遊びに付き合ってあげる時間も作りたい。自分の睡眠時間も足りないし、夫婦の会話の時間もない。
そこで持っている仕事全体を見てエネルギーを配分するというやり方を、今度は自分の人生に当てはめて考えてみた。すると、そもそも仕事にたくさんのエネルギーが使われている事実が見えてきた。
「今の私にとって仕事ってこんなにエネルギーをかけるほど大事なものなんだっけ?」
これまで私は、会社の期待に応えることだけを考えてきた。会社のMVVがイコール自分のMVVに置き換わっている状態だったといえる。そうやってがむしゃらに働く時期があっても良いとは思う。実際やりがいを感じていたし、学びも大きかった。
しかし、2人の子育てが忙しいいま、「本当にそれで良いんだっけ?」「だいじなことを見失ってない?」という自分の声が聞こえた。
アラフォーになって初めて自分の人生について考えることができるようになった、といえるかもしれない。これまで「当たり前」だと思考停止していたことに気付かされた。
子育ては大変なことも多い。
だけど、人は目の前に難しい問題が立ちはだかると、それにどう対処しようかと考える。「問題」は必ずしもネガティブなものではなく、考えるきっかけを与えてくれるものだ。
子育てから気付かされることは本当に多い。
私はまだ自分の人生を主体的に考え始めたばかりである。
