1日の終わり

今日も疲れた。

 

最近、夫が家で「疲れた」と連呼する。そのたびに「疲れているのは自分だけとでも?」と思ってしまうくらいには、私も疲れている。

 

夫の「今朝、息子が6時に起きて一緒に遊ぼうと言うので付き合ってあげたので眠い」という話が「何アピールなのか?」と感じてしまうくらいには、私も寝不足である。

 

未だ夜間授乳で起きたり、明け方子どもたちの布団をかけ直したりしている。どうやら母親には子育て中、眠りが浅くなる機能が搭載されているらしい。

夫が在宅勤務の中、娘と昼寝をしていたら(授乳していたらうたた寝してしまった)「今日寝ていたでしょ」と言われた。

ただの雑談だったのかもしれない。他意はないのかもしれない。それでも私は責められているように感じてしまった。

 

昼間寝てはいけない?あなたが仕事をしている間に休んではいけない?

 

心の中で言い返していた。

私は、体力回復も立派な仕事のひとつだと思っている。絶対に倒れられないと思うからこそ、休めるときには休むようにしている。

もちろん私だってやりたいことはたくさんある。

せっかく子どもが寝ているボーナスタイムに一人時間を満喫したいのは山々だ。

それでも、次にいつ休めるか分からないから、休むのも仕事と思って回復に充てている。

 

全員が寝静まったあと、床につく前に温かいお茶を淹れて飲む。その時間が唯一、一人になれる気がする静寂なひとときだ。

今日もただ一日が終わったと思うと泣けてくる。

私、今日何ができたんだろう。振り返ってみてもうまく思い出せない。

それでも写真フォルダを開ければ子どもたちの弾ける笑顔に癒される。

ただ一日が終わったのではない。無事に、終えることができたのだ。

これが私の仕事なのだ。そう思うことにしてみる。

夫も仕事で忙しい。キツイこともあるだろう。それでも。

それでも、仕事で毎日色々なことを勉強できて、自分を磨いていていいな、と思ってしまう。

子どものことは愛しているし、育児は楽しいし、毎日新しい発見や気づきがある。

でも、自分自身が前に進んでいる実感はあまりない。

子どもはどんどん成長するのに自分は退化している、そんな気がする。

こういう状態が長く続くと、自分の人生を諦めてしまって、代わりに子どもの人生を生き始める、という親が出てくるのだろう。子どもを自分の身代わりにして、子どもの学力のレベル上げなどがあたかも自分のレベル上げのように錯覚するのだろう。

どんなに子どものことを愛していても、自分の人生が取り上げられ続けると楽しく生きられない。

私には、一人になる時間が必要だ。

 

お茶を飲んでほっとしたのも束の間、娘の鳴き声に呼び戻される。

明日はお弁当の日。

 

写真は、散歩中に見た木。節がこちらを見ていた。

京野
ばいちゃ!
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