机上の空論

今日は息子の幼稚園のお弁当の日。いつもは7時半に家を出る夫にも弁当を作っているのでこの時間に合わせて起きているが、今日は夫が在宅勤務だったので息子の時間に合わせて少々寝坊した。

8時過ぎにのそのそ起きて弁当を作る。最初こそ弁当作りが不安で仕方なかったが、慣れてしまえばそれ自体はたいした作業ではない。

弁当作りはどちらかというと、弁当を作って詰めるより前に献立を考えて買い物に行き準備しておくのが億劫だ。プログラムを考える作業が重たいのであって、プログラムさえかけてしまえばあとは決まっていることを実行するだけだ。

 

息子を幼稚園に送り出してから、出産の内祝いのお返しの注文作業の続きをした。

こういう作業は本当に腰が重い。家に0歳児がいると、ゆっくりパソコンの前に座ってウェブブラウジングすることができず作業がまったく進まない。抱っこしながら作業ができるだろうと思われるかもしれないが、まだ首がふにゃふにゃする赤ちゃんを抱えていると必然的に両手が使えないのである。スマートフォン用サイトは見辛いし。

もともと記念に残るものにしようかと考えていたが結局消えてなくなるものが良いだろうと考え直した。

息子の出産内祝いのときはベネッセのまとめサイトで名入れカステラやタオルなどを注文したが、なんだかありきたりでつまらないなと思い直して色々考えているうちにすっかり時間がかかってしまった。

しかし今日ようやくこの作業が完了してすっきりした。

母方の親戚に贈るのに内容の相談をした。母と電話をするとつい長電話になってしまう。雑談を始めてしまい切るタイミングを逃すのだ。

通話記録を見ると今日は2時間以上電話していたらしい。

毎日「ぜんぜん時間がない」と思うのにこうやって母と話す時間はあるというのはどういうことか。

母との電話は会議などと違って片手間である点が大きいと思う。家事などをしながら、話も半分くらいしか聞いていない。もともと電話をかける理由があったわけで、最初のほうこそその要件の話をきちんとしているが、そこから話が逸れていくと、おそらく母も、お互い雑用をこなしながら、あるいは別のことを考えながら片手間の電話になる。通話はしているがお互いしばらく無言になる場合もある。まるで同じ部屋で別のことをしている人みたい。

電話は子どもを抱っこしながらでもできるし、家事をしながらでもできるが、腰を据えて調べ物をしたり文書を書こうと思ったりするとこれが途端に困難になる。

頭は暇で片手は空いているのに、目の前にあるやりたいことが進まないフラストレーションにさいなまれることになる。

そんなとき手持ち無沙汰になって用もないのに母に電話してみても、時間が雑談で埋まるだけで何も解決はしない。

 

ところで、弁当は考えるのが面倒なのであって実行するのは容易だと書いたが、この実行はやればできるが面倒ではある。

オンライン軍師で相談を受ける際、悩みを整理したりプランニングのお手伝いをしている。弁当でいうところの献立を考える部分である。しかしその後、弁当を作る作業である「実行」が待っている。せっかく「あとはやるだけ」に分解しても、これをしないことにはせっかく立てたプランは机上の空論になり、結局現状はなにも変わらないということになる。

 

写真は、散歩中に出会った紫陽花。紫陽花が綺麗に咲く季節になった。

 

京野
ばいちゃ!
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