そして母になる

子どもたちが眠ったあと、リビングで夫と話していたら、急に息子が泣き出した。

ときどき膝が痛いと泣くことがあるので、またそれかなと思いさすってみるがどうもいつもと様子が違う。なんだかもじもじしながら動き回っている。

私は直感で「おしっこではないか」と思った。

 

息子はおむつが外れてからも、夜は念の為おむつをして寝ていた。

しかし朝確認してみると濡れていない、というのを数日確認したため、さっさと夜もお兄さんパンツに移行していた。

本人も潜在意識でそれを認識していて、夜トイレに行きたいと思いながらも睡魔でどうしたら良いかわからず混乱したのだと思う。

 

「おしっこ?」と聞くと泣きながら「うん」とうなずいた。目は瞑ったまま。

「大丈夫だよ、つかまって」と言い、抱きかかえたままトイレに向かう。

しかし、トイレの前でズボンを下ろすところで難航した。寝ぼけて泣きながら混乱している子どもを立たせてズボンを脱がせることができないのである。

「おしっこが出ちゃう!!」とますます泣く息子。

 

これは…間に合わない…!

 

覚悟を決めた私は、トイレの前で息子を強く抱きしめた。

「大丈夫だよーーー全部出して良いよーーーじょうずじょうずーーー」と言いながら、おしっこをすべて自分のパジャマに染み込ませた。

「全部染み込めーーー」と思いながらすべてを受け止めた(結果、床はほとんど汚れなかった)。

 

その後、手早くズボンを脱がせ、自分もパジャマを脱ぎながらお風呂場へ行き、シャワーで身体を流しながら「おしっこ教えてくれてありがとう。お布団じゃなくてちゃんとおトイレでできたね。偉かったね」と褒めた。とにかく「失敗した」「できなかった」という記憶を植え付けたくない、と感じていた。

その後、素早く新しい下着とパジャマに着替えさせ、また抱っこして布団に運び、添い寝しすると、すぐにすやすやと寝息を立て始めた。

 

ああ、母親できているな、と思った。いつの間にか母になっていた、と。

子どものすべてを(おしっこさえも)受け止め、肯定することができるようになった。自分が汚れたこと、掃除が必要になったことになんの怒りも苛立ちもない。むしろ「布団を汚さないようにと寝ぼけながらも教えてくれた息子は偉いな」と心から思った。それくらい心に余裕のある自分を発見した。

これは明らかに子育てを経験してからの変化だと思う。

 

「よくおしっこだって分かったね」と話しかけられ「あらそこにいたの」と夫を見た。がんばれ夫。がんばれ父。

 

 

写真は、幼稚園の帰り道、バギーの中からこちらを見る息子。可愛い。バギーはいつ卒業かな。

 

京野
ばいちゃ!
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