ものの効果

掃除用の洗剤としてクエン酸やセスキ水を使っている。どちらも粉末をスプレーボトルに入れてお湯や水に溶いているが、これらの洗剤はまったく泡立たない。

クエン酸は弱酸性の洗剤で、水垢汚れなどに使う。泡立たなくてもスプレーして拭き取れば綺麗になる。セスキ水は逆に弱アルカリ性で、皮脂汚れ落としなどに向いている。

お風呂掃除のときにもこれらの洗剤を使うことがあるが、新築ということもあり、そもそも初めから汚れが目立たないのでなんだか掃除している実感がない。

これがたとえばもこもこ泡だてば掃除している実感が湧くのだろうな、と思う。

歯磨きも同様である。歯磨き粉をつけて口の中をもこもこにすると歯磨きできている気分になる。

美容院のシャンプーも過剰に泡立つ。

このように、ユーザの体験として「できている雰囲気」を味合わせるためにさまざまな企業が努力しているのである。

たとえば、美容院でシャンプーしたあと髪がキシキシするよりも、ツヤツヤになり指通りが良くなれば「効果があった」となる。

中長期的な効果よりも、即効性の勘違いが重視される。つまり、本当に良いものかどうかは後回しだ。

 

先日、テレビでプロの選手が子どもに野球のアドバイスをするという番組を見た。

初めは球がまったくバット当たらないのだが、フォームを直したりして最終的に球があたるようになるという内容だ。

この手の番組を見るといつも、これは別に上手くなった=実力が上がったわけではないよなぁと思う。

数時間で上手くなったように見えるのは、荒療法だ。プロから見て、どこをどう直すのが手っ取り早いのかを判定し、今回の場合で言えば、とりあえず球がバットに当たるようにしたに過ぎない。

本来は、現状を踏まえてどのような練習をしたら良いのかメニューを考え、数ヶ月単位で改善していくものだろう。

しかし、少々荒療法であっても、とりあえず球がバットに当たったことでできるようになったと錯覚する。それで本人のやる気に火をつけられたのだとしたら、それは大きな成果なのかもしれない、とも思う。

勘違いで調子に乗ったことでチャレンジできることもある。

 

ただし、冷静に正しいプロセスと効果を判断することも重要である。

 

 

写真は、息子の幼稚園にお迎えにいくときに道端に咲いていた花。

 

 

京野
ばいちゃ!
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