やった方が良いはずなのにできないとき

形から入りたくなる。

所謂世間で言われているお作法に則って。

 

しかし、ときにはやりたいところの核心の部分に、いきなり着手しても良いんじゃないか、と思う。

 

副業してみたい。

そう思ったらやってみれば良い。

 

まず事業計画の本を読んでから、と言ったって、興味がないから永遠に読めない。

正確には、いまその必要性を感じていないから読めないのである。

 

「でもいきなり始めるの怖くない?」

 

じゃあ何があったら怖くなくなるのか。

その「何」にあたる情報が、その人にいま「必要な情報」なのである。

 

本当に必要だと思うなら読める。そこに時間を割ける。それが人間である。

 

不動産投資をしてみたい。

とりあえず本を10冊読もう。

でも時間がなくて読めない。

それは時間がないのではなく、本を10冊読むことが不動産投資を始めるにあたって本当に必要なことだと思っていない、もしくは、そもそも不動産投資に本当は興味がない、つまり本気ではないのいずれかである。

 

人の相談に乗っていると、副業するのがこわい、と言われることがある。

一緒にたくさん準備してきても、いざ始めようと思うとこわいのだ、と。

 

とりあえずやってみれば本当に必要な情報が分かる。

本当に必要だと思うなら本気で調べに行く。

 

やってみて困れば、たとえばそのとき「事業計画が必要だ」となれば、そのとき血眼で本を読み、作成するだろう。

 

人は本当に必要に迫られないとなかなか動かないものだ。

必要に迫られた勉強がいちばん効率が良い、とも言える。

やる気が湧かないならそれは本当は興味がない、ひいてはいま本当に危機迫った必要性を感じていないということなのだ。

 

写真は、実家でもらってきた切り花の薔薇。家に生の花があると華やかになって良い。贅沢。

 

京野
ばいちゃ!

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