
死ぬのが怖い、と思うときがある。夜寝ようとしているときや、夜中に目を覚まして考えごとをしているときなどに発想することが多い気がする。
布団の中で考えごとをしているときに、でもこんなに色々と考えていたって死んでしまったらおしまいだ、と思ったりする。
すると次に、死んでしまったあとをイメージしてしまう。すぐに、死んだら今考えているようなことは考えることができなくなるのだな、ということが分かる。
するととたんに急に怖くなるのだ。
思考がいっさいできなくなるということがとても残念だ、という気持ちだ。
私はいろいろなことを考えるのが好きだ。考えることがとても楽しい、と感じる。今この生命が終わったらこの続きを考えることができない。世界がぷつっと終わってしまって、何も見えない、聞こえない、考えられない、書けない、話せない。
これらを残念だと思うということは、つまりインプットがあって、発展があって、アウトプットがあって、それが生命の営みの醍醐味だと考えているということかもしれない。
朝になってから夫に「死ぬのが怖いと思ったことある?」と聞いてみた。
すると「死ぬことそれ自体よりも、死ぬときに痛いのとか苦しいのとかが嫌だ」と答えた。
「いつかは死ぬし、それは仕方がない。死んだあとのことよりも死ぬプロセスが心配」と言った。これは私にはなかった発想だ。
病気になったり、怪我をしたりすると、「ああ痛い思いをして死ぬのは嫌だな」とか「将来寝たきりになるのは嫌だな」とか考えることはある。しかし、そんなことよりも私は命が終わることを残念だと思う気持ちが強い。ところが夫はそれ自体にはあまり執着していないように見えた。
「私は死んでしまって思考できなくなることが残念だと思う」と言うと、夫は「それはこの世に未練があるということだな」と言った。
そうか、これが未練なのか。そうなのかもしれない。
