
私の書道歴は、幼稚園生のとき園内の書道教室に通うところから始まったと記憶している。その後、小学生になってから別の教室に通い、高校を卒業するまで続けた。ちなみに高校のときは書道部部長だった。しかし大学生になってからは数学にハマり、だんだんと書道から離れてしまった。
息子を出産したときの育休を機に書道を再開した。
小学生のときに通っていた教室の先生は、私の一番最初の記憶でもおじいさんだったから、きっと今はもっとおじいさんなのだろう、と想像していたらあまり変わっていなかった。昔から仙人のような掴みどころのない不思議な人。
母はいつのまにかこの先生の元で師範を取っていた。
私はもともと資格なんてどうでも良いと思っていたけれど、ふとこの先生に名前をつけて欲しいと思い立った。
師範の資格を取ると雅号と呼ばれる名前をもらえる。ご存命なのにこんなことを言うのは不謹慎だが、尊敬する先生の形見が欲しいと思ったのだった。
書道は、再開してみたらブランクの割に意外と書ける、身体が覚えている、と思った。
先生の書く字は、何気なく書かれているようで洗礼されている。一見なんてことないのだが、自分で書いてみるとその難しさがよく分かる。
やってみることの大切さを思い出させてくれる。
なんどもなんども同じ字を書く。そうすると自分の字もだんだんと洗練されてくる。
同じ字をなんども書くなんて、そんなの意味がないんじゃないの、なんの役に立つのよ、と思われるかもしれないが、そういう意味のないようなことの方が、今の私にとっては意味深い。
弟も当時、私と一緒に書道教室に通っていたが、ふたりとも母の門下生として新たに再開した。
母と弟と私と、同じ課題の字を書いてみると、それぞれ個性が出ていて面白い。
同じお手本を見ているのにどうしてこうも違う雰囲気になるのか、と不思議に思う。
書道はひとりでできるのが良い。
そしてときどき、同じように好きでやっている近しい人同士でいいねと褒めあったり、ここはもっとこうしたらいいんじゃないかと談義したりする。そういう感じが自分には合っている、と感じる。
