地震

先日修了式を終え、今日から息子の幼稚園が午前保育となる。そして来週から春休みに突入である。

私は今日も体調が思わしくなく、熱を測ったら37.4だった。身体がだるい。

弟は新型コロナウイルスワクチンの3回目のため午前休を取得していたようだ。朝、病院に出かけて行ったと思ったらあっという間に帰ってきた。

ちょうど母と息子と外に出て幼稚園バスを待っていたところだったので、弟も合流しみんなでお見送りという形となった。何があるわけでもないのになんだか仰々しくなってしまった。

最近は毎朝、息子を見送る時に写真を撮っている。今日もカメラを持っていたため、それを弟に渡して出発風景を撮ってもらった。

こんな生活も残り僅かと思うと寂しい。

 

お昼に息子が帰ってきたが、私は相変わらず体調が悪く横になっていたので息子に寂しい思いをさせてしまった。

何度か百人一首かるたをアプリで探してと頼まれた記憶がうっすらあるがまったく起きられなかった。母が対応してくれた模様。つくづく身体が資本だ、と思う。

弟と母に助けられている日々。

ここのところ、ことあるごとに「こんなで引越し後やっていけるのか」と言われており、地味に凹む。皺寄せが子どもにいくのではないか、と。そうかもしれない。なんとか生き延びたい。

自宅マンションに引き上げるための荷物を車に積め始めたが、チャイルドシートが2台乗っているためあまり載らない。

「急ぎでないものは置いておけば」と言われるが急ぎのものは現在進行形で使っているものが多いから準備が進まない。

実家を引き上げたあと、どのくらいこちらに戻って来られるかも未定だ。

4月からどんな生活になるのだろうか。

どんなに色々想定しても想定外のことは起こるものだ。だからといって想定することに意味がないわけではないが。

 

2日連続のダウンでなにもできていない自分。

今年は爪を研ぐ一年と心に決めたのになにも進んでいない。3月まではのんびりすると決めたので焦らない、と思おうとするのだがなかなか難しい。頭の中は自由だ、とも思うのに思考力もない。

こんなときは諦めて寝るのが一番と思うのだが、どうも「宙ぶらりんで決まらないことがある」「不確定要素が大きい」「作業が進まない」「進みが見えない」ことにそわそわしてしまうタチである。

分からないものは分からないし、できないことはできない。どうせそのときにできることしかできないのだから、なにもできないときには諦めてのんびりすれば良いのにと何度も頭では思うのに。

そうは言っても限界が来れば勝手に眠るもので、身体を休めたら少し回復した。

 

夜、息子を寝かしつけたが、22:30に起きて百人一首かるたをするという。最近ずっとやっている仕分けをした。

百人一首の上の句と下の句を合わせたら、絵柄が男性のもの、女性のもの、髭があるもの、お坊さん(髪がない人)などを分けて並べたり、決めた箱に格納していく。

今日一日寝ていたのでこれに付き合う体力が残っていた。良かった。

かるたで遊んでいると地震があった。ずいぶん長く揺れた。

息子が驚いて飛び上がって抱きついてきた。

今回はスマートフォンに事前通知がなかった。急いでテレビをつけるとすぐに速報が出た。実家にはテレビがあるのでこういうとき咄嗟にNHKにチャンネルを合わせる癖がある。

日本地図を見ながらここが震源だという話をした。もう大丈夫なのか繰り返し確認する息子。揺れは収まったがなかなか私の側を離れなかった。

その後、なぜ地震が起こるのかしつこく聞かれたのでプレートの説明をした。

地震が起こったときの対応に関する指導はなかなか難しいと感じた。大人のそばに行くのが良い場合もあるし、すぐに動かない方が良い場合もある。ガラスの側は危ない、頭を守る、幼稚園にいる場合には先生の指示に従う、そもそも家の外にいた場合、部屋にいた場合など状況に応じて対応が変わる。しかし子どもに対する指示は簡潔な方が良いのだろう。

 

 

写真は、息子の幼稚園バスを見送っているところ。弟に撮ってもらった。

京野
ばいちゃ!
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