見えなかった汚れ

今日は子どもを連れて久しぶりに夫のいる自宅マンションに戻った。

帰ってすぐに目についたのが洗面台の水垢、トイレの床に落ちているゴミ。お風呂に入れば洗い場の床の汚れ、脱衣所にある除湿機に入ったままの水。

咄嗟に「あなたは一人暮らしでしょう?」「できないはずはないよね」という言葉が思い浮かぶ。

もちろんトイレも風呂も夫なりに掃除してある。夫には汚れが見えないのだ。私も昔は夫側、汚れが見えない種類の人間だったから分かる。

しかし、あら捜しをしたいわけではないのにどうしても「できていない」部分が気になってしまうのは、単純に汚れが気になるというだけなのか、それとも一人暮らしを満喫していたと思っている夫に文句を言いたい自分がいるのか、果たして、、、

 

昔、割と潔癖な人とお付き合いをしていたことがある。

いつも床を粘着テープでコロコロしたり、私が先に上がったあと残っていつまでも風呂場を掃除したりしていて、当時汚れ見えないマンだった私はどこにそんなに掃除しなければならないところがあるんだ、と思っていた。

今思えば、彼が初めて私のマンションに来たとき、ちょっとぎょっとしていた気もする。

当時の私は仕事第一人間で、自宅マンションなどは寝に帰るだけの場所、端的に言えば寝られれば良いと考えていた。

それが今では水垢がどうのとか言っている。どうしてこうなってしまったのか。

それは、すべて育休のせいである。

 

私は一人目出産のとき、産休&育休期間に暇を持て余していた。それで「赤ちゃんが来るから」と家の掃除を始めたのだった。

突然、激務から解放され、スマホを見る時間も増えた。TwitterやInstagramを見るようになったのも育休がきっかけだ。すると、今までまったく興味がなかった「おとなりさん」が目に入ってくるようになった。

今思えばこういったSNSを見るまで他人にも他人の家庭にもまったく興味がなかった。

誰がどういう生活をしているのか、どういう家に住んでいるのか。素敵な暮らしをしている人がどういうふうにお片付けをしているのか。

SNSは数々の「素敵」を押し付けてきた。

それで「ちょっとやってみるか」と気軽な気持ちで片付けや掃除に手を出してみたらこれが意外と面白かったのである。

汚かった場所が綺麗になる。使いにくかった場所が使いやすくなる。狭かった場所が広くなる。

これらはいずれもわかりやすく良い変化である。

赤ちゃんを育てながらなんの成果も評価もないような気持ちになっていた私は、すぐにこれらに夢中になった。

 

自分で手を動かして掃除をしてみると、そこが汚されたことに敏感になる。さらに「次はどこを綺麗にしようかな、どこを効率化しようかな」と常にアンテナが立っているから汚い場所や使いにくい場所を常に探している、つまり汚い場所が部屋のイマイチな箇所がどんどん目に入ってくるのである。

部屋が綺麗になることはとても良いことだと思う。しかし汚れ見えないマンだったときと今とどちらが平穏かと言われたら疑問である。

これはやってみないと分からないことだ。

夫はまだこの体験をしていないというだけ。私は「こちら側」に来てしまった。もう戻ることはできない。

 

「見える」人と「見えない」人が同居する場合、どうしても「見える」人の分が悪い。

父と母もそうだった。母は父よりも「見える」人だった。

庭の草が伸びている。家の中の電球が切れている。夜帰ってきて玄関の鍵が開けっ放しだ。

そういうことが、母は気になるが父は気にならない。

父に言うと「俺は気にならない。気になる奴がやれば良い」という。

やらずに放置していると「見える」人に我慢の限界が来る。それを放っておいても「見えない」人には気にならないのだ。

これは「見える」人にとって精神衛生上良くない。

 

では気になることがある場合、気になる人がやらなければならないのだろうか?

 

 

写真は、ソファに寝かされる娘。まだベビーベッドを実家から引き上げていないので寝かせておく場所がない。

 

 

京野
ばいちゃ!
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