題名のない音楽会

私は就職したときに実家を出て一人暮らしをしたときからテレビを持っていたことがない。そのため、テレビ番組に疎い。

しかしそんな私の数少ない好きなテレビ番組のひとつに「題名のない音楽会」がある。毎週土曜日朝、30分だけの番組だ。番組を観ていると、毎回大量にカットしていて放送しているのは僅かなのだということが分かる。30分だけでなくもっと観ていたい、と思う。

今日もこれを観ながら、私はこの番組の何が好きなのだろうと考えた。

 

ただ音楽が好きで、上手な演奏を聴きたいだけなら好きなクラシック音楽を聴けば良い。

なぜわざわざテレビを観るのか。この番組の何を観ているのか。

 

それは他でもない、人間を観るのが楽しいのだと思う。

生身の人間が演奏しているというのが良いのだ。CDでなくテレビで観ることでそれがよりリアルに感じられる。技術もさることながら、その人の音楽に対する考え方やポリシーを伺い知ることができるのが面白い。どういう考えや思いを持った人が演奏しているのか、その人の面白みがどこにあるのかを頭に入れた上で、演奏を聴くことで作品に奥行きを感じることができる。

 

毎回招かれるゲストも面白い。期待の若手に注目してみたり、長年のプロを招いたりする。若手ならではの荒削りで希望に満ちた、上昇気流に乗っている雰囲気も良いし、ときどきシニアを招いてその圧巻な力をみるのも楽しい。

 

また、番組の中で企画ものとして王道のクラシックから少し外れたことをする試みも楽しい。別ジャンルのコラボレーションや大胆な編曲など。

私はこうした「遊び」が好きだ。

普段は「真面目」な仕事をしているプロが、そのスキルを直接の仕事以外の遊びに使うのは粋だと思う。

プロが遊ぶとこうなるのか、と感心する。

 

以前、「にこにこ超会議」というイベントに参加したことがあるが、動画配信などのネットワーク提供にNTT東日本が名乗りをあげ技術提供している点にプロの遊び心を感じて痺れた。エンターテインメントだけでなく人道支援などでも同様だ。災害や不測の事態にスキルを発揮する。仕事でないけれど身体が動いてしまったというような「余白」の使い方はスマートだと思う。

強すぎるが故に生まれる余裕である。

 

だから私は強くなりたい。強さを磨いておけば、いざというときに大事な人を守れる。強ければ強いほど多くの人を守れるから。

 

 

写真は、庭に咲いた桜の花。

 

 

京野
ばいちゃ!
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