相手の立場で考えるということ

子どもを産んでから、それもつい最近になってようやく、相手の立場に立って考えられるようになった、と思う。

これまでも、自分と似た境遇だったり 共感できることに関しては、相手の立場や気持ちを想像して親身になったり心を痛めることはあった。しかし、自分の興味のないことにまで想像を巡らせるという積極性を発揮することはなかったように思う。

とはいえ、大人なので失礼のないように振る舞うことはできるし、一時点での話なので大きな問題にはならない。

そもそも、大きな問題にならないからこそこれまでこのことに気付かなかったし、逆を言えば「積極的に相手の気持ちを考えるとはこういうことなのか」ということに気付いたことで、今まで相手の立場を想像する力が足りなかったのではないかと思うに至ったのだった。

 

大人に対しては、その場を凌げてしまえば問題ないけれど、子育てにおいてはそうもいかない。一緒に過ごす時間も期間も長い分、自分が子どもに対してどう振る舞うか問われる機会が本当に多い。子どもに自我が芽生え、言葉が通じるようになってから、ますますこちらの対応が試される、と感じる。駄々をこねて泣き続けたり、意固地になったり、いけないと分かっていながらわざといたずらをしたりすると、こちらも人間なのでどうしたってイライラしてしまう。

 

印象深かった記憶がある。

ある休日に私は寝坊していた。息子が一番最初に起きて、息子に起こされた夫が朝ごはんなどの対応をしていた、らしい(寝ていたので知る由もない)。その後、ずいぶん経ってからのそのそと起き出したときには、夫と息子は部屋遊びをひととおり終えて公園に行く準備をしていた。

そのへんの事情も一切分かっていなかった私は、起きてすぐさま、息子が出しっぱなしにしていたおもちゃのことか何かで息子を頭ごなしに怒ったのだった。

そのとき私はそれを見ていた夫から怒られた。

「それはないんじゃない?ママずっと寝てて、それは疲れてるからしょうがないと思うけど。起こしても起きないから寝かしておいてあげようねって言って俺と朝ごはん食べて。ずっといい子にしてたよ。一緒に遊んでこれからお出かけしようねって言ってたところだよ。それをいきなり来て怒るなんて彼にしたらわけがわからないよ」と。

私はこのとき自分がとても恥ずかしかった。と同時に、息子の立場でものを見ることができる夫を尊敬した。

 

子育てをしていて自分はずいぶん気が長くなった、と思っていた。このときも自分は子どもにイライラしていないと思っていた。

でもそんなことはなかった。

日々「昨日より気が長くなったな」と感じ、日々「まだまだだったな」と思い知らされる。

できていないと絶望し、できるようになったと勘違いし、またできていないと気づく、の繰り返し。

そうやって日々アップデートしている。

 

その後、「今の状況で、息子の立場だったらどういう気持ちだろうか」ということをもっと想像するよう気をつけてみたら、これまでイライラしていた場面でも怒りが湧いてこなくなった。息子には息子の事情があり、その立場、その年齢における気持ちがある。そう考えると、「そういうこともあるよね」と思えるし、その上で共感して対応策を取ってあげると息子の癇癪も減った。もちろん、悪いことをしたとき、叱るべきときに叱るということとは別の話だ。

親も完璧な人間ではないし、こちらに余裕がないとなかなか難しい場合もある。しかし、目線を変えるだけで景色が大きく変わったと感じる。

 

そしてこれは子どもに対してだけではなく、誰に対しても適用できる。

 

実家で生活をしている間、甘えも産後メンタルのせいもあると思うのだが、母に対してイライラしたり当たってしまうことがあった。

主観で考えると、自分は子育てをしている、自分は疲れている、自分は寝不足だ。誰かにいたわってほしいという気持ちが先立つ。

しかし母の立場や気持ちを想像してみると景色が変わる。ご飯を作り、洗濯をし、身の回りを整え、子どもの世話を手伝ってくれている、という事実がある。自分の人生の時間を使ってサポートしてくれる母の気持ちが見えてくる。

母にもっと感謝を伝え、優しくしたいと反省した。

 

こんなこともあった。

ここのところ、子どもたちが寝静まったあと、お茶を飲みながらその日撮った写真を弟と一緒に見ながらああだこうだ言う時間を楽しみのひとつにしているのだが、ある日母が自分のスマートフォンで撮った写真を「この写真はどう?」と見せながら話に入ってきた。

今は別の写真について話しているし、一眼レフとスマートフォンの写真は違うしで「へぇ」くらいの相槌であしらってしまった。

その日の夜、母の立場に立って考えてみて自分の対応を後悔した。

それで次の日、もう一度母の写真を見せてもらい「この写真良いね」「これはどうやって撮ったの?」と話をしてみた。いきなり褒めるから気持ち悪いと言われたが、嬉しそうな顔の母を見て最初からこうすれば良かったと思った。

なにも嘘をついて褒める必要はない。思ったことを言えば良い。しかし相手の言葉の受け止め方が変わることで、相手に渡す言葉も変わってくるはずだ。

 

他人に対しては気を遣えるけれど、身内には強く出るという人がいる。子どもの反抗期の延長のようなものだ。身内だから失礼な態度を取っても良いということにはならない。

本当に大切な人に感謝を伝えられる時間は限られている。

私は、愛や感謝を相手に伝えられる人でありたいと思う。

 

 

写真は、庭のしだれ梅。

京野
ばいちゃ!
スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう