
産後、約1ヶ月間は産褥期と呼ばれ、基本的に安静にしていなければならない。
出産はよく、全治1ヶ月の交通事故に例えられる。しかし実際は1週間弱で退院となり、母体を回復する間も新生児のお世話があるのだから大変だ。
産褥期の間は湯船に浸からずシャワーで済ませるように、と病院から指導があった。
シャワーといえば、産後一番最初に浴びたシャワーがとっても気持ち良かった。熱いお湯と冷たい身体の境界から次第にほぐれていくのを感じた。
このとき初めて、出産後も身体が緊張し冷たくこわばっていたということに気付いた。
個室にはシャンプーのほか、洗顔や美容液等のボトルが用意されていた。
アメニティのシャンプーを使いながら、ふと「これは昔の私だったらあり得ないことだな」と思った。
20代の頃は出張が多く、一年のほとんどをビジネスホテルで過ごした。
今思えば、この間にアメニティに対する考え方が変わっていった。
20代のはじめの頃はぜんぜんお金がなかった。100均で買ったボトルに自前のシャンプーを詰めて持参し、ホテルに置いてあるアメニティは「いつか使えるかも」と持ち帰り大事に保管していた。
しかし20代半ばからは、給与は上がるが仕事が忙しすぎてお金を使う暇がほとんどないという状態で、貯金が貯まるいっぽうだった。趣味や旅行にお金を使う暇がないため、この頃はなんとなく美容にお金をかけていた。シャンプーや基礎化粧品は美容室専売品や高級ブランド品のものを使うようになっており、今度はホテルに置いてある得体の知れないシャンプーを使う気になれないという理由でシャンプーや基礎化粧品を出張先に持参していた。
しかし今はホテルに置いてあるアメニティはよほど抵抗のあるものでなければ使ってしまう。
その理由には3つの価値観の変化がある、と思う。
まず、「もったいない」という価値観の変化だ。
昔はさまざまなものを「もったいない」という理由で使わずに保管していた。ホテルのアメニティはじめ、ブランドものの化粧品サンプルなど「いつか使うかも」と使いもせず、捨てられもしなかった。
しかし自分でお金を稼ぐようになって、「あとからでも手に入るもの」と「2度と手に入らないもの」の見分けがつくようになった。これが大きい。
お金を出しさえすればあとで手に入るものについては、執着しなくて良いと分かった。つまりアメニティは大事にとっておく必要がないということだ。試供品もどんどん使う。不要なものを手放すことで余白ができる。
次に美容に対する価値観の変化だ。
結局、美容に関してはよほどおかしなものでなければ、一定以上のものはそんなに変わらないのではと思い始めた。つまり、1万円の化粧水に5千円の化粧水の2倍の効果があるとは思えない、ということ。
表面に塗るものよりも、日頃の運動や食事や睡眠、日焼け対策などの方がよほど重要であり、それらを疎かにして美容に何十万円もかけるのはナンセンスだ。そう考えるようになってから美容に無駄にお金をかけるのをやめた。このあたりの匙加減は自分の見る目が重要になってくる。
最後に「いま」に対する価値観の変化だ。
子どもの頃から先送りにしてきた「あとで」は叶わないものも多いと知った。未来のために今を我慢することが必要なときもあるけれど、不確定な未来よりも「いま」に全振りした方が良いことが多い。早く知ることで未来への選択肢が得られる。
過去の記憶上、もっとも馬鹿らしいのが通信教育に付属していたシールだ。私は子どもの頃シールを集めるのが趣味だったが、なかなか買ってもらえず「こどもちゃれんじ」に付属しているシールを使うのがもったいなくてずっと取っておいていた。
しかし通信教育に付属しているシールなどはそのときに使うのが一番効果が高い。ワークの中で使うべきシールを取っておいても仕方がないのだからどんどん使うべきなのだ。
食べ物は旬がいちばん美味しい。買ったらすぐ食べるのが美味しい。開封したらすぐ食べるのが美味しい。
化粧品にも使用期限がある。新しいうちにさっさと使うのがよろしい。1年後には鮮度が落ちるだけでなく、より良い製品が出ている。大人になってから、そんな未来に対する進化の確信が持てるようになったともいえる。
自明だけれど人生は有限だ。
自分の価値観の軸を持ち、今何を選択すべきか常に考え続けたい。
