
無事、子どもが産まれた。
陣痛についていえば「これは何の拷問か」と思うほど痛かったけれど、産んだあとは意外とケロッとしているものである。
人間の「忘れる」という才能はすごい。(でなければ2度目の出産など出来ないだろう。)
経産婦は産道ができているので1回目よりもお産が楽だと聞いていたとおり、割とすんなりと産まれた、と思う。
病院の到着してから内診、その後LDRに通された。このときから「子宮口が柔らかくなっている」と言われ、本格的な陣痛が来てからは90分ほどで産まれた(そこまでは長く感じたが)。一般的には、2回目のお産は1回目のお産の半分の時間が目安だそうだ。
前回は自宅近くの病院での出産だったが、今回は里帰り出産。
つまり前回と今回で異なる産院での出産となったのだが、産院によってこうも勝手が違うものなのだなと思った。
今回の産院ですごく良かったなと思ったのが、アロマセラピストと呼ばれるスタッフがいたことだ。
アロマの香り(注文したわけではないのだが持ち込まれた)は正直どうでも良かった(というか、個人的には無い方が良かった)のだが、かなり長時間寄り添ってマッサージし続けてくれたことが本当に本当に助かった。
前回のお産のときには、夫が立ち会いをしてさすってくれたりはしたものの、やはり素人かつ出産経験がないと遠慮が生じてしまうものだ。
アロマセラピストさんは本当に欲しいタイミングで適切なマッサージをしてくれてかなりありがたかった。
そういえば、隣の部屋からは「痛い!痛い!」「無理!もう無理!!」とずっと叫び声が聞こえていて心配になった。
私はたった2回ではあるけれど、自分の経験から、出産においては「人間になってはいけない」と感じている。
確かに陣痛のときも実際に赤ちゃんを産むときも頭がおかしくなりそうなほど痛いのは確かだ。
だけどそのとき私は「自分は赤ちゃんを産むためのハコだ」と思うようにしている。そう思うと痛みが凌げる。
私は、出産のときに自分ができることは赤ちゃんが必死に外へ出ようとするのをお手伝いすることだけだと思っている。
赤ちゃんが自ら回転し、下に降りてこようとしている。そのときに「よ〜しよしよし、上手だね〜もう少しだよ〜」と思いながら、自分はその器として振る舞うのである。
「痛い」と叫びたくなる気持ちも分かる。
でも、その感覚は自分が人間になったときに発せられる言葉であり、自分が主体になってしまっていると感じる。そうではなく、自分は赤ちゃんを生み出すハコに徹し、お手伝いをするくらいの心構えでいるとスムーズである、いう個人的かつ概念的な話。
出産してからは、ベッドの上で各所に出産報告。
今回夫の立ち会いができなかったので、助産師さんにたくさん写真を撮ってもらった。
その後、車椅子で個室に移動して眠った。
起きると2時間が経過しており、机の上に夕食が運ばれてきていた。
前回の出産のときは産後すぐに母子同室となったが、今回は「6時間絶対安静」のもと、トイレに行くにもナースコールという徹底ぶり。
赤ちゃんと別室は寂しいが、のんびりと身体を休めることができた。
こんなふうに一人になれたのって何年ぶりだろう、という感じ。
とりあえずご飯を食べよう、と思った。お腹が空いた。
そういえば陣痛中に出されたお昼ごはんを食べ逃したんだよな(かなり心残り)。
個室病棟はホテルのように綺麗で洗練されていてとても居心地が良い。
部屋にはタブレットが用意されており、今後のスケジュールや館内の案内、スタッフへの連絡手段などが提供されている。IT化が進んでいる。
部屋の冷蔵庫にはジュースやお茶、チョコレートが用意されており、ご自由にお召し上がりくださいとのこと。
その他アメニティーやお茶も充実している。いたれりつくせり。
ご飯を食べるためにベッドの上で上半身を起こそうと思うがうまくできない。
座る場所を少しずらすにも一苦労。とにかくひとつひとつの動作が大変だ。
下半身からはまだ出血があるし、会陰切開の傷も痛い。その後、後陣痛が痛くなってきたので休めるうちに休もう、と思いまた眠ることにした。
