何が恥ずかしいって

オンライン軍師の発表を終えて、ふと自分はどんな恥ずかしさを感じているのかを考えてみた。

まず、コミュニティという場において、自分は運営者であるが、メンバーはそのサービスを享受しているお客様であるという視点がすっかり抜け落ちていたのではないか、ということだ。

私はこのコミュニティに思い入れがあるし、今後継続するためにどうしていくべきか、今どうあるべきかということを常に考えてしまうが、これはあくまで「運営側」の視点なのである。

メンバーにとって、このコミュニティは生活の中心でもなければ、存在を忘れている時間の方が大きいくらいの、そんな生活の一部に過ぎないはずだ。

仕事とか家庭とか趣味とか、あくまで生活の主体は別にあり、コミュニティなんてものはどちらかというと些末なパーツのひとつに過ぎないはずなのに、熱く語ってしまった自分が恥ずかしい、と思ったりしているのだ。

 

だいたいにして、私自身はコミュニティにどっぷりだったら逆にまずいよね、とも思っている。

生活の主体は別にあり、まずはそれらが充実しているのが望ましいわけで、心に余裕があるからサードプレイスを楽しめる。

あくまでコミュニティがサードプレイスなのであって、こちらが主体になることは私自身望んでいない。

「生活の主体が不平不満だからコミュニティに入り浸っている」という状態はまったくもって不健全な状態ではないか。

 

つまり、本来メンバーにとってコミュニティがどうあるべきかということはどうでも良いことであり、メンバーが考えることではない。

結局コミュニティ運営者である私自身がどうしたいかというのが一番大事なのであって、誰かに何かを言われたから「はいそうします」というものでもないはずだ(もちろんユーザの声を聞くことは大事だが、決定するのは運営側であるべきだ)。

それなのに、誰かの太鼓判をもらい答え合わせをして安心したかった私の弱さが今回のプレゼンテーション開催だったのではないかという気がしたのだった。

答えは誰も持っていない。自分で考え、覚悟を持って決めていくしか無いという当たり前のことである。

 

…とこうやってここでこうして思考を「発表」してようやく落ち着いてきた、というオチ。

これも発表の効果だろうか(ただの日記だけど)。

 

写真は、車で走っているときに見た夕焼け空。

 

京野
ばいちゃ!
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