自由の獲得

今日の午前中は実家の掘りごたつ掃除。

本当は昨年のうちに済ませたかったのだけど、持ち越しになってしまっていたのだった。

 

いざ机をどけてみて驚いた。おもちゃの小さなパーツやゴミが無尽蔵に落ちている。

小さな子どもがいる家庭で掘りごたつは向かない、と確信した。

 

こたつの中のものを拾い、掃除機をかけ、雑巾がけをして掘りごたつを塞いだ。

そこらじゅう走り回る息子が穴に落ちないよう注意しながらの作業は気が気ではない。

掃除機を出してきたついでに部屋全体の掃除機がけをして、気づいたらもうお昼だ。疲れた。

 

考えてみたら今週末は3連休なのだった(すっかり忘れていた)。

こたつ机を撤去したことで部屋が広くなり、部屋の掃除も済ませて気分はスッキリした。

しかし、こうしている間にも夫は新居で1人悠々自適な生活をしていると思うとモヤーっとした気持ちが湧いてこなくもない。

 

 

来年度から始まる息子の幼稚園の準備も、来月に迫る出産の準備も、里帰り出産を終えたあとの生活の心配も、どうして私ひとりが請け負わなければならないのだろう。

 

「連休は何か予定あるの?」と夫にLINEしたら「予定なし」「やっておくことがあればやるよ」と返信が来た。

 

「言ってくれればやるよ」というのは、やっているうちに入らない、と私は思う。

なぜなら「やる」という作業項目にまで落とし込む間に、すでにかなりの思考力を使わねばならないからだ。

Doの部分はロボットでも外注でも(つまり他人でも)できるのであり、「身内」の「人間」だからできること、これすなわち、状況を見て頭を使って判断することなのである。

 

夫に思いつく指示だけ返信して、気分転換のため出かけることにした。

出かけると言っても息子連れなので自由に動けるわけではないが、電器屋さんにカメラを見に行くことにした。

実は、最近カメラが欲しくていろいろと調べているのだ。

友人の影響もあるが、30年後の人生を考えはじめたことで、なにかアートな趣味に手を出してみたいと思い始めたのがきっかけだ。

カメラだったら一人で完結するし、子どもの記念写真も撮れる。今まであまり興味がなかったが、調べ始めるたらなかなか興味深いと思えた。

息新しいことを始めるのはわくわくする。

 

 

今更だけど、子どもが生まれてから生活が一変した。

子どもがいる生活は、喜びも格別だけど独身時代の「マイペース」とは無縁だ。

どうしても子ども中心の生活になり、自分のペースが乱される。

さらに今は幼稚園が冬休みなので息子が一日中家にいる。つまり自分の時間はほぼゼロ。

そしてこんな生活が続くと、だんだんと「ひとりになれない」ストレスが膨らんでいく。

大学時代は「何をしていても頭の中は自由」と信じていたけれど、子どもと一緒にいると思考はほぼ不可能だ。

日に日に思考力が落ちていくことに焦りを感じたりもする。

 

ペースが乱されるといえば、実家での生活もそうだ。

食事のペースや献立、生活サイクルなど自分の自由にならないことが多いし、使っている家電やものの収納場所、掃除の仕方など、些末な違いが小さなストレスとなり積み重なっていく。テレビ習慣や家の中の効率化できていない運用が気になったりもする。

加えて、ノイズが多い。

テレビなどの雑音もそうだが、人間が多いのでどうしても話しかけられる頻度も高くなる。母にスマホの使い方をあれこれ聞かれたりもする。

 

もちろん、実家にいることで助けられている面も多い。

買い出し、洗濯、料理など、基本的に家事は母任せだし、自分自身が体調不良のときなどには息子を任せることもできる。

息子にとっても、接する人間が多いことで、マンションで私と2人きりの生活をしているよりも良い刺激になっていると思う側面もある(常に周りで人が喋っているので言葉の覚えが早い気がする)。

 

だけど息子の冬休み期間、私は改めて「自分のControllableな範囲をなるべく増やしていきたい」という欲求を再認識した。

Controllableとはつま自由の獲得である。

自分がこうしたいと思うことができるということ。なるべく他人に干渉されず、ストレスを避けて生きる選択肢を持つこと。

 

子育ての不自由も永遠に続くわけではない。実家の父母もずっと元気なわけではない。

今はこの貴重な不自由を楽しみながら、夫と生きていく未来を構築していきたいと思ったのだった。

 

写真は、電器屋さんの駐車場から見た倉庫。

 

京野
ばいちゃ!
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