相手を褒めたからといってそうなりたいと思っているとは限らない

去年の話になるけれど、Voicyという音声配信メディアでVoicy Fesというイベントが開催された。

定額料金を支払うと、Fesの期間中に配信されるVoicyのパーソナリティの対談を聴くことができるというものだった。

 

一番最初に聴いたものが、勝間和代氏とちきりん氏の対談だったのだけど、このときに改めて思ったのが、

「人を褒めるということと、自分がそうなりたいかどうかは別もの」

ということだった。

 

この対談の中で印象的だったのが、ちきりん氏が勝間氏を褒める場面だった。

ちきりん氏はなにかにつけて勝間氏に対して「すごい」とか「私にはできない」という感想を口にしていた。

これは、言われた方にしてみれば「褒められている」と受け取ることができ、気分の悪いものではないと思う。

 

しかし当たり前だが、AさんがBさんに「すごい」と言ったからといって、AさんがBさんのようになりたいと思っているとは限らない。

「すごいよね」「尊敬するなぁ」「私にはとてもできないよ」と思うことと、そうなりたいと思っていないことは矛盾せず両立するのである。

 

そして、自分の生き方に自信と確信を持ち、自分の人生に満足している人ほど、自分とは違う生き方を確立している人に対して敬意を払うことができるのだと思う。

自分の人生に不満がある人は、「自分もこうなりたいな」と憧れるような人に対しては「すごいな(羨ましいな)」という感想を抱くことができるかもしれないが、自分と相容れない価値観を持ちながら楽しそうに生きている人(成功している人)に対しては、「気に食わない」という方向性の感想を抱く(いわゆる「アンチ」になる)傾向にあるのではないかと思う。

 

「自分とは違う考え方、生き方をしているけれど、楽しそうで良いよね」

「自分はそうはなりたいと思っているわけじゃないけれど、そういうことができるあなたをすごいと思う」

と自分と異なる価値観や生き方を認め、客観的に評価することができるのは、「自分」というものをしっかりと持ち、自分の人生に満足しているからこそ言える台詞なのだと思う。

それが心の余裕というやつなのだ。

 

私もそんな余裕のある人間になりたいものだなぁと思う。

 

写真は実家のリビングの出窓に置いてあった鏡餅と虎の置物。

 

京野
ばいちゃ!

 

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